アルコールの多幸感は、脳の回路の誤作動

ライター・榊春彦の備忘録。

酔ったマッツ・ミケルセンの微笑はなぜ儚くも美しいのか。鑑賞後に祝杯を挙げたい映画『アナザーラウンド』。

『007 カジノロワイヤル』が映画化された時、わたしはジェームズ・ボンドの勇敢さよりも、むしろル・シッフルの怖さに惹かれてしまった。右手で高額なポーカーチップを弄びながら、左手をこめかみを当て、冷ややかな薄ら笑いを浮かべる男。余裕ある立ち振る舞いでディナージャケットを身に纏いながら、全裸に剥いたボンドの股間をロープで拷問する姿は、いままでのボンド映画の中でも、誰の追随をも許さぬ圧巻の敵らしさを漂わせていた。

 

以来、私にとって「北欧の至宝」マッツ・ミケルセンは、まさに「愛でる」対象だ。

三銃士/王妃の首飾りとダ・ヴィンチの飛行船』(2011年)では帽子と眼帯のキザなロシュフォール伯爵、『偽りなき者』(12年)でのどこか儚げな眼鏡姿、『バレット・オブ・ラブ』(13年)でのギャングスタイルなアロハシャツ、『ハンニバル』でのゴージャスなスーツ姿、『ドクター・ストレンジ』『ローグワン/スター・ウォーズ・ストーリー』(16年)でのファンタジックな装束…。

 

小島秀夫監督のゲーム『デス・ストランディング』もたまらない。煙草をくゆらせながら、アサルトライフルを手にこちらを追いかけてくるマッツ・ミケルセン。日本語版でストーリーを進めていた私だが、マッツの声が聞きたくなって英語版に切り替えて再度マッツ登場のイベントを楽しんだほどだ。

同性の私から見ても、マッツ・ミケルセンは美しい。彼に纏いつく、あの退廃的なエロティシズムは何なのだろう。

それが今回の映画『アナザーラウンド』で、ほんの少しだけ掴めてきた気がする。

マッツのエロティシズムを凝縮した『アナザーラウンド』

 
 
 
 
 
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デンマークの原題は『Druk(=大量に飲酒した)』、マッツが踊り狂う予告編を観て『酔拳』や『ハングオーバー!』シリーズのような愉快なコメディを期待した観客も多かったことだろう。だが、ストーリーはそこまで底抜けに明るい展開ではない。

マッツが劇中で演じるのは、教師としての情熱を失い、妻や子どもとの関係も希薄になってしまった中年男・マーティン。同じく仕事や家族に行き詰まりを感じる同僚教師たちとの集まりで、マーティンは久しぶりに飲んだワインに心を解放され、つかの間、素直な気持ちを吐露し、明るい気分を味わう。同僚が語る「血中アルコール度0.05%を保つことで、リラックスし、何事にも前向きになれる」というある哲学者の言葉に興味を示したマーティンは、酒を飲んで授業に向かい、独創的な授業を成功させてしまう。

この現象をレポートにすべく、次の日から同僚たちとともにアルコールを摂取して教壇に立つ生活が始まった。するとクラスはみるみる活気にあふれ、型破りな授業は次々と成功を収める。ぎくしゃくしていた家族関係も好転し、中年の危機は一転! さらなる効果を求め、マーティンは摂取するアルコール量を増やしていくが…。

 

 
 
 
 
 
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マーティンが直面する中年期の危機は、国や地域を越えて我々が直面している問題と何ら異なるものではない。むしろ、コロナ禍が広がり、いままで惰性でなんとなく済ませていたことが表面化してきている分、それはよりいっそう向き合わなくてはならない問題として立ちはだかってきているのではないだろうか。

問題が困難になった時、人はしばしば酒を口にする。マーティンが経験したように、アルコールは気分を明るくし、しばしば高揚感を与えてくれる。

しかし、神経科学者で大阪大学名誉教授の小倉明彦氏によれば、アルコールの摂取による高揚感とは、「脳の誤作動」であるらしい。脳にはうれしい経験をした時に快感を促す「報酬系」の回路と、嫌なことに直面した時に不快感を促す「罰系」の回路が存在し、そのふたつが作動することで学習を繰り返していくのだが、アルコールを摂取した最初の段階(=血中アルコール度0.05%ほど)ではなぜか「報酬系」の回路の抑制を解き放ってしまう。結果、人は笑い上戸になり、さらなる高揚感を求めて次の一杯を重ねてしまうというのだ。

少し大仰になったかもしれないが、何を言いたいかというと「酒を飲んでも何も解決しない」ということ。

酒を飲んだマーティンがどれだけ上手く立ち振る舞っていても、それは脳の誤作動が引き起こした空虚な幻想だったのではないかと、我々はかつて自分が酒を飲んで引き起こした失敗の記憶とともに恐怖を覚えるのだ。

「酒で解決する問題はないが、ミルクを飲んでも解決しない」

自分に向き合わない限り、問題は解決しない。そのことを、この映画は教えてくれる。

マーティンは酒をやめたのか?それは、エンディングを観ればわかる。

いつか読んだ、タイトルも内容も忘れてしまった本があるが、ひとつの言葉を覚えている。

「酒で解決する問題はないが、ミルクを飲んでも解決しない」

人生に向き合い、何かを掴んで酒を飲むとき、脳の誤作動は最高の幻想を与えてくれる。クライマックスに訪れるマッツのダンスは、まさにカタルシスだ。

この映画のマッツは、ハリウッドで観る彼のような超人やヒーローとは一線を画す、いたって普通の中年男だ。仕事で悩み、家族の問題に頭を抱え、酒に溺れる。仲間の幸運に大きく喜び、そして静かに笑う。その微笑を見て、私はマッツ・ミケルセンのエロティシズムの根幹に思い到った。

日本でも人気の北欧家具は、なぜ白やパステル調などの明るいカラーが多いかご存知だろうか。それは、北欧の長く冷たい冬に由来するのだという。厳しい寒さの中、空はどんよりと雲に覆われる。人は屋内にこもり、暖を取って酒を飲むしかなくなる。暗い部屋の中で気分がふさぎがちになる時に、明るい色の美しい家具は最大の慰めになってくれるのだ。

『カジノロワイヤル』や『ハンニバル』に顕著な、マッツ・ミケルセンの美しくも冷酷で残忍な様は、寒く厳しい北欧の自然を感じさせる。その残酷さを知る彼の穏やかで温かい微笑は、凍える人々を暖かく見守る家具のような優しさに満ちているのだ。寂しさや儚さを知るからこそ滲み出る、彼の穏やかで優雅な所作に、我々はじっと見とれることしかできない。「北欧の至宝」とはよく言ったものだ。彼は、その身体でもって生まれ育った環境そのものを内包し、作品に重みを与えることができるのだ。

この映画に何よりふさわしいのは、美しいものを寿ぐ美酒だ。

鑑賞後のあなたと、私は杯を重ねたい。

映画『アナザーラウンド』オフィシャルサイト